正解ではなく、良い質問を見つける。

 

私達って

 

教育の影響か

 

社会の影響か

 

他者の影響か

 

自分以外の全ての影響を受けやすい。

 

結果、

どうも「正解を求める」癖がついています。

 

でも、その前に必ずや問いがある。

 

「東京駅に行くから、グーグルマップで乗り継ぎを調べればいい」(答え)

 

「どうやって東京駅に行くか?」(問い)

 

このように。

 

通常、刺し障りのない質問の場合、

問いはあまり意識されません。

スルーして、答えになっていますよね。

 

でも、

刺し障りのない質問なら問題ないのだけど、

 

例えば、

 

「人間関係に煩わされることなく生きれば、気分良く生きられる」(答え)

 

という答えが分かっていても、

 

それに対する問いは、必ずしも

「どうすれば気分良く生きられるか?」ではありません。

 

「どうすれば気分良く生きられるか?」の答えが

 

「人間関係に煩わされることなく生きれば、気分良く生きられる」だとしても、

 

「じゃあ、どうすればいいのか?」という新しい問いが生まれる。

 

つまり、問いと答えが直結していないのです。

 

一般論はそういうもの。

 

だから複雑になる。

 

それをシンプルにするために、

 

自分なりの、自分の問いが必要なのです。

 

例えば、

 

「気分よく生きられるためには、何が必要か?どんな力を持っていたいか?」

 

「気分よく生きている時に、あなたのそばにあるものは何か?あなたは何を持っているか?」

 

等々。

 

それによって、自分なりの答えが生まれます。

 

そして、

 

状況や立場等によって答えは必然的に変わるのだから、

 

答えは様々です。

 

これが対応力となります。

 

コーチ