「大切なもの」と「ごみ」は実は同じもの
「大切なもの」と「ごみ」は実は同じもの
糸井重里さんの、先日の「今日のダーリン」の話です。
糸井さんが長年大切に使っている湯呑があって、
それはいただき物で、
先日、ネットで調べたらたいそうなものであったと。
おそらく糸井さんにとっては、
「大切な人からいただいた」
「お気に入りの湯呑」
だから「大切なもの」なんだと思うんだけど、
糸井さん曰く、自分が死んだらそれは何か複雑な物語を持ったゴミになるんだろうな、と。
そんな話だったと思う。
つまりさ、
大切なものか、ゴミか、に関わっている自分がそれを決めているだけなんだよね。
自分、我って、なんとも複雑なもん作っているんだなと。
そんな自分もゴミになるのに。
って書いていて、ゴミとか大切なものというより、
自然に帰るってそういうことなのかと。
帰結しました(笑)
なんか今日は徒然書いちゃったな。
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